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お浚い会にむける自分の課題 [<三味線稽古>]

今回は邦楽友達が5人も見に来てくれた。
(3人来られなかった人がいたので、本来なら8人だった。なんとありがたいこと。)
酷暑の中、本当にありがとうございました。
私が邦楽友達に、浴衣会のお知らせをするのは、
自分の演奏を聴いてもらいたいというより、
むしろ、先生方の演奏また先輩の演奏を聴いて楽しんでいただきたいという気持ちの方が大きい。
(先輩の中には何十年と習っていらっしゃるプロレベルの人もいて、本当に素晴らしい演奏なのだ)
こんなに素晴らしい演奏をお稽古場のメンバーだけで楽しむなんてもったいない。
和室で聴くというのも、三味線を聴く音環境としてはベストだし。
自分自身、他の人のお浚い会に伺わせていただくと、
その方だけの演奏だけではなく、他のお弟子さんの演奏も楽しく聞かせていただいている。
素人で、一生懸命練習している、ある意味同じ三味線仲間の演奏は
どのような到達レベルであれ、聴いて学ぶべきことがたくさんあるし、応援したくなる。


ありがたいのはお稽古場の姉弟子も含め、皆さん、忌憚のない感想をくださること。
それぞれに聴くポイントも違うので、大変勉強になる。

今回、これまでずっと見ていて下さる方から、いつもにくらべて自信がなさそうに見えたという感想をいただいた。
(その一方、堂々としてエネルギーの感じられる演奏だったといってくださる方もいた。
来られなかったけど、録画を見せたら、新内を一緒に聴きにいった友達は新内のところ、雰囲気でてたよといってくれた。私も弾いているとき、あのときの江戸の町の風情を思い浮かべながら弾いていたので、同じ景色を見てくれたかなぁと嬉しかった。)


自信がなさそう・・・というのはさすが、日頃の私を良く知っている方ではの鋭いコメントだなぁと思った。



考えて見ると自分のとった戦略に十分自信がもてていなかったのだろうと思う。
今回私は、いつもと違い時間もなかったので会のために仕上げるというのではなくて、
自分ができていなくてはいけないのにできていない基本のことを粛々と練習して
その結果としての演奏にしようと思っていた。

歌舞伎の若い役者が、見得のところだけバッチリ決めて、あとはとほほな演技になってしまう・・・
みたいな風にはしたなかった。
今まではたとえばチンチリレンだけ弾きこんで、どう?手が回るでしょ?みたいな
上部だけの演奏をしたけれど、
正直、そういう格好だけの自分がいやで、
なんでもないところも雑にしないでちゃんとしようと思ったのね。
そして、前日の稽古で注意されたことをひとつでも多く直すことを目標に。

だったらばっちりに聞こえなくても
細かい今までできていないところができていたら
自分的にそれでよしとすればいいのだけれど、
ところが、人間はやっぱり他人の素晴らしい演奏を聴くと
自信がなくなってしまうものなのね。


会にむけてばっちり弾きこむと自信が生まれ、結果良い演奏になる。
弾き混んだという安心感が自分を支えてくれる。

一方私の場合、そういう弾きこみをしなかったので、心理的支えが弱い。
(仕事のことがつねに頭にひっかかっていて、自宅での練習もホント上の空だったから、
そういう三味線以外の不安感が足をひっぱっていたことも大きいのだけれど。
切り替えしないと結局何もプラスにならないね・・・)
長期的に見て自分のためになる選択をしたと思っていても
その瞬間はやっぱり気弱になってしまう。
もっと自分を信じればよかったのに。

勘所の正確さっていつまでやってもできるようになった感がなく、
またゆっくりの場合の替え手とのハマリも本当にぴったりあったのかいまいちわかり辛く
当日までにできるようになったことというのが実感としてない。
たとえば新内の合方の替え手でゼロから14に飛ぶとき、
14ぴったりに指が動くのは運次第で、絶対毎回ぴったりっていかない。
何度練習しても、ぴたっとはまるときもあればハズレるときもあり、
どうかあたりますようにって感じ。
そういう運任せってとっても不安。
当日にじみ出た自信のなさの正体はこれだったのかなぁ。

そういうできる確率の低い課題は別に置いといて
最低、これができたらよしとしようという課題を設けて
そこは弾きこんだ方が戦略的にはいいのかもしれない。

自分に自信を持たせるための達成可能な課題と
真面目に粛々とこなす、長期的展望にたった課題との二本立て。

歌舞伎役者も、見せ場ちゃんと見せられなかったら、
他がどんなにまずまずであってもやっぱりその役を演じる意味がないもんね。
今まで、結構若手役者には厳しい見方をして、そんなとこだけうまく見せられたって
普通の所作がだめじゃん!と思っていたけれど、
普通の所作って何気ない分、できるようになるまで時間がかかる。
立っているだけ、歩いているだけで義経なんて何十年も先の話だ。
一方見せ場ってものすごく形が決まっているから、
そこだけ短期間一生懸命やってもそこそこできるようになるのだ。
客に見せられる演技、まだ全部は無理だけど、
とりあえず、できるところからやりますってことなんだろうなぁ。

どこか一箇所だけでも自信がある場所があったら
その気持ちがあとをひっぱってくれる。


そうだ、思い出した。
今回、洒落弾きはそこそこできるようになったのだ。
お師匠さんから、もっさり弾くなら洒落弾きじゃないんだから、
軽く弾けないのなら、やめろ!と言われてたけど、
言われなくなったから、そこはそこそこできるようになったと見なしていいかな。
洒落弾きをできないなら、新内のところは弾く意味がない、それだけは絶対できるようになりたい!と思い入れていたから、この点はよかった。


結論として、
集中してやることで出来るようになる課題と、
出来るようになるまで時間がかかる課題と二種類に分けて設定すること。

前者はやっぱり手が回る系かな。
手が回りさえすれば、間合いや音自体への比重は少なくなって、そこそこ聞けるものだしね。
しかもやはり曲芸パートは派手な分、客にも受けるしね。

ただこればっかりやっていても全体として上達しないので、
勘所やゆっくりのところの間合いとか地道な課題もこなしていかないといけないというわけ。


あと、ブログという形で自分の気持ちを綴るのは大事だなとも思った。
ツイッターとかFBとかはどうしても短い文章になるので、書きながら自己分析には至らない。
日記とは違いブログは不特定多数の人に読んで頂くので、
自分も一読者の立場から見るという視点が加わり、客観的自己分析をしようと心がける。

ここのところ省略しがちだったお稽古覚え書きもまたちゃんと書こう。
記録を残していないわけではないけれど、こちらに書くことでまた別の見方もできるもの。



それにこんなにまばらにしか書いていなかったのに、アップすれば読んでくださる方がいるので
ありがたいことだなぁと改めて思った次第です。
読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
頻繁な更新にはならないかもしれませんが、やめることなく続けますので
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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